遊んでみたい? 戯れましょう。

珈琲が好きです。どうしてハマったのか、自分でもわかりません。ハマった自覚もありません。もっと美味しい珈琲を飲みたいと思い続けて、自分で焼いて、自分で淹れて、資料を読み、先人に訊ね、友人と談じていたら、40年近くが過ぎて、今になりました。ある時から、「珈琲はライフワーク」(自虐です)とか「珈琲狂」(自嘲です)とか言うようになりましたが、本当はそれらもどうでもよいことです。無理に珈琲を良く言って喧伝する世の風潮も好みません。私自身は明日起きてみたら、珈琲が大嫌いになっているかもしれません。でも、今は珈琲が好きです。珈琲に生きて、珈琲で遊んできました。明日も嫌いになっていなければ、珈琲を喫して、珈琲に戯れましょう。


焙煎のこと

私、鳥目散帰山人の焙煎は、特徴があるようです。原則として、焙煎の工程で火力を一切動かしません。主に使っている手廻し釜は、覆いもなく排気装置もなく計器もありません。ほぼ一定の火力で燃えている炎の上に生豆をかざして、焙り焼きをしているだけです。それでも、物によって時によって、気温や湿度によって、一釜ごとに二度と同じ工程にはなりません。一定に決める火加減、焙煎中の手廻しの回転速度、焼き上がりのタイミング…これを調整するだけで私には精一杯です。「一本焼き」と名付けました。この焙煎の手法を他人に強要するつもりもありませんが、どんな焙煎機を使用した場合でも「一本焼き」を基準に考えるのが、私の珈琲の焙煎に対する考え方です。